かつて音楽は、プラスチック製のレコード盤に針を置いて聴いたものでした。直径30センチのLP盤、シンガーソングライターのアルバムには、歌詞と共に、本人による「ライナーノート」と呼ばれる、エッセイ風の文章を載せた、30センチ四方の平たい冊子が付いていました。 ライナーノートには、作者の曲に対する思い入れや、身のまわりの出来事などが綴られており、楽曲の向こう側にある作者の人柄や世界感を知る機会にもなりました。
「雨やどり」や「親父の一番長い日」など、昭和の家族の情緒を唄ったヒット曲で著名なさだまさしさんは、コンサートにおけるMCが巧みなことでも知られ、アルバムのライナーノートは、それ自体を集めて文庫化される程の名文家でもあります。
そのさださんがライナーノートで「里子に出した」と表現した名曲「秋桜」は、1977年に山口百恵さんが歌って大いにヒットしました。 手塩にかけた娘を嫁に出す前日の母と、その娘の切ない心模様を、さださん特有の優しいまなざしで描写した美しい歌詞からは、いかにも昭和らしい情景が浮かびます。 昼下がりから夕方へ移りつつある時間帯の、晩秋の澄んだ日差しを受けて咲いている秋桜 ―― さださんはこの可愛らしい花に、嫁ぐ娘の姿を重ねたのか、あるいはその母の想いを見たのでしょうか。 遠方の他家へ行ってしまえば、文字通り「娘は人様のものになる」という時代でしたね。そこには、平成の今とは違う心情や諦念がありました。
ところで、この秋桜を歌った山口百恵さんは、当時18歳でした。今ならまったくの子供と言える年齢でありながら、しっとりとした情感あふれる詞曲をささやくような調子で見事に歌い上げた感性は素晴らしいと思うのですが、女は20歳を過ぎたら嫁に行き、子を成すのが当たり前だったこの頃、「涙もろくなって、庭先でひとつ咳をした母」は、いったい幾つだったのでしょうか。平成の言葉で云う、いわゆる「アラフォー女子」ではなかったか、と考えるとなんとも不思議な気持ちになります。
年の瀬には、恒例の「懐かしのメロディー」に耳を傾けながら杯を重ねる、という機会が増えますね。最近では「昭和のメロディー」といった番組タイトルもあるようです。 少し前に同世代の友人たちと食事をしていて、「大学生の子どもたちから、ユーミンやオフコースを懐メロと言われた」という話が出て驚きました。しかし考えてみると、我々も若い頃、ディック・ミネさんやフランク永井さん、青江三奈さん達がクラブで歌ったムード歌謡を「懐メロ」と捉えていた訳ですから、やはりそういうものなんですね。 中村草田男が「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠んだのは、明治が終わって20年あまり過ぎた頃でした。それを思えば、まさに「昭和は遠くなりにけり」ですね。
さて、平成30年もいよいよ師走に入りました。何事もない穏やかな年の暮を経て、よき新年を迎えられますようお祈りします。 山あいの里山を囲む集落の静かで平穏なたたずまいが、平成の次の時代にも、この国のどこかでずっと息づき続けるように願っています。
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