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デジタル化の平成からAI発達と浸透の令和へ

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2019年5月4日
デジタル化の平成からAI発達と浸透の令和へ
「シンギュラリティ」ってホントに来るの?

タンポポの種がとぶ
 

 最近ではすっかり使われなくなった言葉に、令嬢や令息、令夫人という表現がありますね。昔は富裕な家庭の方に対して、「麗しい」との意味を込めて用いました。新しい元号が「令和」に決まったと聞き、久しぶりに先の表現が思い浮かびました。

今週、平成が終わり、令和の時代が始まりましたね。今回は、平成天皇ご存命のうちにご退位となりましたので、新天皇のご即位を安心してお祝いすることができました。特例法に基づく皇位継承でしたから、令和の次の時代に同じような形を取るのかまだ分かりませんが、国民が感謝と祝賀の気持ちを持てる中で、皇位の継承が行われるのは、とても良いことだと感じています。

さて、4月には平成年間を振り返る、多くの記事や番組が報道されました。個人的に平成を通じて変わったと感じるのは、「怒って、他人に絡んでいる人」を見かけなくなったことです。 昭和の頃には、通勤途中の駅のホームで口論しているサラリーマンが時々いました。きっかけは「目が合った」とか「肩が触れた」とか些細なものですが、普段から持っている苛立ちや怒りが、それをきっかけに噴出する、ということだったのでしょう。中にはコワイお兄さんが、いかにも気の弱そうな男の子に絡んでいたりする光景もありました。かつての学生運動や暴走族も、体制や世の不条理に対する怒りの表れとも言え、社会の中に「怒り」という強いエネルギーが存在していたように思います。平成の終わりには、それらは表面上はあまり見られなくなりました。

一方で、盗難や暴力といった危険に遭遇する不安な場所といえば、以前は繁華街や夜間の路上といったリアルの場所が挙げられたものですが、最近ではインターネット空間が上位に入っています。この変化が何を示しているのか考えてみると、「加害者の属性や層が変わった」ということなのでしょう。

腕力勝負の時代には、身体の大きいコワイお兄さんにはかなう訳がありませんでしたが、インターネットの世界では、気の弱そうな男の子がいとも簡単に「強者」に変わり得ます。ITデバイスは、手軽に入手できる「便利な攻撃ツール」として、開発者の意図とは異なる目的に用いられるようになりました。

怒った赤ちゃん

 ところで、駅のホームには、駅員さんの帽子の上に、鏡もちのようにたんこぶが積み重なっているポスターが掲示されています。乗客による駅員に対する暴力を防ぐためなのでしょう。 先ほど「怒って他人に絡んでいる人」を見かけなくなったと話しましたが、別の状況で遭遇することが増えたように思います。ひとつは乗客が駅員に怒っている、他には店舗で客が店員に絡んでいるというパターンです。お客様相談窓口のコールセンターにも、執拗に電話を掛ける常習のクレーマーがいるようです。

共通しているのは、「相手が絶対に反撃しない」と分かっていて高圧的な態度を取っている点で、これは先の「インターネット空間」のくだりで触れた、「加害者の属性や層が変わった」ことと根底で繋がっているように感じられます。

私たちは平成年間を通じ、便利で快適、安全な社会に到達したように思うのですが、他方で新たな危険や不安を抱えて令和に生きていくことになるのでしょうか? 平成がインターネットの発達と密接不可分の時代だったとすれば、令和はAIの発達と浸透の時代になると言えると思います。 電車の中で黙々とスマホを操作する情景が平成の終わりの私たちの姿だとすると、自宅や出先でひたすらAIスピーカーと会話している生活が、令和の終わりには普通になるのでしょうね。

AIは「主人」の好みや気性を毎日の対話からよくのみ込み、抜群の忖度を身につけ、「主人」も気がついていないような、様々な情報を蓄積しているかも知れません。スマホを介した位置情報や公共の場所での監視カメラによる情報との連携、スケジューラーや電子メールのやりとりに基づいて総合的に構成し、「主人」の翌日の行動やビジネス面談での会話を緻密に予測することさえ可能になるのでしょう。 そんな時代に、人は誰に向かって「怒って」いるのでしょうか? 次の「絶対に反撃しない人」とは誰なのでしょうか?



AI ロボットの手
 

 私は最近、PCやスマホ、タブレットが思うように動作しない時に、非常にストレスを感じます。一旦「応答なし」状態になり、頑固に押し黙っているPCに苛立つことが多くなりました。皆さんは、そんなことはありませんか?

かつてWindows 95の頃には、よくOSのファイルが壊れ、半日以上掛かって何十枚のフロッピーディスクを出し入れしながら、OSを再インストールしたものですが、それに比べれば、はるかにタフで高速になった現代のPCに対してさえも、なおイライラするとすれば、どんなに高性能なAIが実現したとしても、やはり満足はできないのでは、と思ったりします。

現在、インターネット空間で進んでいる「他者への不寛容の攻撃」の傾向、それがやがてAIを相手に自宅内で行われるハラスメント行為へ発展するようなことになるかも知れませんね。さて、そんな時代にAIは「絶対に反撃しない従者」であるのでしょうか?

「主人」が日々、AIに対して取る言動をAIがつぶさに記録し「主人」の性格判断を行い、AI自身が危険を感じる状況になれば「国家当局へ通報」し、未然に「主人」の身体を拘束させるような「AIによる自己防衛ネットワーク」を作り上げ、対抗するかも知れません。

1977年から80年にかけて、竹宮恵子さんが描いたSF作品「地球(テラ)へ」…. 遥か遠い未来に、コンピュータが国家を掌握し、市民はコンピュータに従属するようになった世界…. 物語のオチは「コンピュータに管理されることを、人類自身が選んだ」というものでした。 令和の終わりの時代に「今」を振り返ったならば、紅い旗の隣国で始まった大規模な「社会実験」は、まさに「その端緒」であり、その後の国家と個人、AIとの関係を暗示していた、と感じるのでしょうか?

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