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サザエさんだってスポンサーが変わったのよ

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  2022年2月7日
 サザエさんだってスポンサーが変わったのよ
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 日経電子版が昨年末に「若者なぜ昭和レトロ」というコラムを連載していました。平成に入ってから生まれ育った若者が、駄菓子屋や茶の間という昭和の情景に惹かれるのはなぜか、若者は昭和的なさい事物を「目新しいコト」として認識している、といった内容だったと思います。

ひと口に昭和といっても70年近く続いた時代でもあり、戦前戦中に該当する最初の20年、戦後の復興から高度成長が続いた次の25年、為替の変動相場制移行や石油ショック、自動車輸出規制などを経て、我が国を取り巻く経済環境が大きく変わる中でもがきながらも国際進出を果たした最後の24年と大きく三つに分けられるでしょう。

60年代後半から70年代にかけて、国は増えていく人口に対する住宅供給の政策として、都市近郊に「何々ニュータウン」と銘打った大規模な団地群を造成し、また企業も社宅を建設しました。6畳間を基準とした2DKの間取りを持つ風呂付き集合住宅に入居するのは、庶民の憧れだった訳ですね。台所は土間、風呂はなく銭湯通いという長屋住まいがまだまだ多かった時代です。

団地や社宅の生活は、家庭同士の距離感が近く暮らしぶりがお互いによく分かるので、自然と競争意識が生まれてきます。

会社では出世競争が激化、一方の家庭では三種の神器や3Cなど最新の製品を揃えることに血眼になり、娘にはピアノを習わせる、息子が進学する高校のランキングに気を揉み、果ては持ち家を買って集合住宅から引っ越していく順番を競いました。鉄板の上で煎られる豆のように、強烈な上昇志向が社会全体を包んでいたのですね。

曰く「お隣のご主人は今度課長になるそうよ、あなたはいつなの?」とか「上のお宅は一軒家を買って来月引っ越すんですって。子供にはそれぞれ部屋があるそうよ。あなたはウチが社宅で一番の古株なんて恥ずかしいと思わないの?」など、一日の仕事を終え、くたびれて帰ると奥さんの焚きつけが待ち構えている上に、テレビのホームドラマでもそんなシーンが放映されて、現実との二重鏡にお父さんはさぞげんなりしたことでしょう。



サラリーマン 通勤 バブル 昭和 インフレ

 2015(平成27)年を100とした消費者物価指数(総合)で見ると、1970(昭和45)年は31.5であり1975(昭和50)年は54.0でした。この5年間に物価が71.4%上昇したことを示しています。企業の業績拡大による賃上げも進んでいましたが、狂乱物価と呼ばれた上昇幅で、実質の可処分所得はむしろ下押し圧力を受けていたと思います。

「賃金が増えなければ干上がってしまう」との切実な焦燥感に駆られているのが実態で、「サラリーマンは気楽な稼業」とか「役人は遅れず休まず働かず」などと揶揄されたのは、本当は「自虐ネタ」だったでしょう。1980(昭和55)年は74.5で次の5年でさらに38.0%の物価上昇が続きます。

1985(昭和60)年の指数は85.4で14.6%の上昇に留まりました。この後4年で昭和が終わり、平成初頭のバブル期を迎え、やがてそれがはじけて「失われた20年(あるいは30年)」と呼ばれる長期停滞時代に入ります。

バブル期は激しいインフレに見舞われたような印象を持っているのですが、物価指数の変動で見ると、1987(昭和62)年が85.9、1992(平成4)年が96.3で12.1%の上昇ですから、80-85年の上昇スピードより実は低い水準だったのです。一方で、所得はこの期間に大きく増加したと思います。

指数は1998(平成10)年に101.1をつけた後、緩やかに下降を続けデフレの時代を迎えます。アベノミクスで経済が反転上昇に入った2014(平成26)年に99.2、翌15年が指数の基準年で100、その5年後の2020(令和2)年は101.8でした。22年間に0.7%の上昇、物価は長い間ほとんど変わらなかった訳ですね。



卒園式 デフレ オンリーワン

 バブル崩壊後たぶん97年ごろだったと思いますが、経済評論家の堺屋太一さんがバブル時代の状況を念頭に置いて「好景気より景気低迷期の方が消費者には好都合」と著者で述べられていました。

つまり好況期には企業は「値段を上げても売上はどんどん上がる」と消費者を顧みなくなるが、不況下ではなんとか顧客の心をつかむようおもねり、「利益を減らしてでも値段を下げる」ので、消費者にとってはむしろ歓迎すべき状況ということで、まさにデフレ期の企業の対応を言い当てています。

デフレ下でのECの発達は販売価格を引き下げる方向へ作用し、所得は伸びないが購買力は増加するとの環境を作り出し、消費者にはますます好都合な生活条件をもたらしてきました。失われた20年の間に、私たちはそんな「デフレの心地よさ」にすっかり馴れきってしまったようです。そして、そのことに無自覚なほど「物の値段は変わらない」ことを所与の条件と思い込むようになりました。

一方でほとんどの消費者は労働者でもありますから、デフレの時代に忘れ去られた事柄があると思います。それは、グローバル化しイノベーションが進む世界の中で顕在化した「(人材を含む)競争の激化」です。

一番下の息子の卒園式で最後に親を含めて「世界でたった一つだけの花」を合唱しました。

第一子が卒園するお母さんたちから見て、すでに10年は年をとっていた私は、「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」という歌詞を口ずさみながら、(ひとりっ子で終わるケースも多い)今の母親が子供に持つ思いとは、こういうものなのだと感じました。

ワークライフバランスと言われ、最近ではワークインライフといった耳ざわりの良い言葉がビジネス評論家から聞こえてきます。企業に人手不足感が強まる中で、採用活動は売り手市場になり、また社員のリテンションの視点からも、企業が働き手に迎合する風潮が強まっているようです。

バブル華やかなりし頃、就職活動中の学生は「花長風月」という基準で採用試験を受ける会社を選別し、より好条件の企業へ入社を果たしました。そして20年が過ぎ、企業側による余剰人員の選別が始まると、入社時とはまるで異なる状況に直面しなければならなくなったのです。

「昭和レトロ」を新しい感性で歓迎する若い世代は、就職するにあたっても企業でやりたいことを明確に持っているようです。若い時から目標を明確に持ち、その実現に情熱を注ぐことは素晴らしいことです。一方でそこには必ず競争があります。そして、その競争は非常に長い間、将来にわたって続くものなのです。



ジョブ型雇用

 昨年来続く資源高を背景に、消費者物価が本格的に上昇する時代が到来しようとしています。

とりわけこれまで消費者の低価格志向の強さに配慮して、メーカーが自らの利益を抑制し長期にわたって価格維持に努めてきた食品など生活必需品において、もはや「ステルス値上げ」では間に合わず、実価格を上げるとの記事を毎日紙面で見かけるようになりました。

少し前に「所得の伸びは鈍くても、デフレで物価が下がるなら、そこそこの暮らしができる」との論も見受けられました。ITの技術革新がそのような社会環境を持続させてくれるかのような話でした。

欧米の社会では21世紀に入って、かつての中間層が没落し、一部の富裕層と大半の低所得層に二極化していることが明らかになっています。中間層という「お金持ちではないけれど、それなりに満足できる暮らしをしていける」と思っていた人たちがそうではなくなってしまったのです。

そこへ昨今の物価上昇が始まり、低所得層の生活を直撃しています。「物の値段は上がらない」というのは幻想に変わりました。インフレの時代には、所得が増えなければ「かつて買えたものが買えなくなってしまう」との現実が待っているのです。

今春闘では「ジョブ型雇用への移行」が前面に掲げられています。

「ジョブ型雇用」について企業やメディアでは(学問的な定義とは異なり)、「能力に応じて優勝劣敗を明確にする」雇用形態と捉え、所得面でもはっきりと差をつける方向へ舵を切る考えを表に出してきました。

それは我が国のビジネス社会が、大相撲のように横綱という絶対的なチャンピオンでも破格の報酬を得ない代わりに、協会の末端職員や入門したての新人力士や部屋子まで皆が暮らしていける共同体社会から、大リーグのように信じられないような高額契約を手にする選手がいる一方で、脱落者は容赦なく振り落とされていく競争社会へ移行することを意味します。

ひと頃「そこそこ族」という言葉がありました。「出世もそこそこ、給料もそこそこでいい」とのデフレ下ならではの考え方ですね。しかし、それはもはや成り立たない時代が訪れようとしています。

プロスポーツの一流選手は、理論の学習と実践による技術の体得を倦まず弛まず続け、カン頼みの一過性のプレーでなく「再現性の獲得」のために自らのエネルギーを注入しています。それが現代の競争社会を象徴する世界に生きる人に求められていることです。

翻って我々サラリーマンはどうでしょうか? 「過去に経験したことを頼りに、成り行きまかせで日々の仕事をこなしているだけ」に終わっていないでしょうか?

生活環境もビジネス社会もパラダイムがシフトする渦中にあって、これからの働き人に求められる能力について熟考し、早いうちに答えを見出してそれを習得する必要があるでしょう。変化のスピードが格段に速くなった時代に求められる能力を獲得し、AIに代替されない仕事に就くことで、物価上昇を上回る賃金増を実現できる労働者になることが必須になる時代が到来しようとていると思います。



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