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おいのみち 先はまだまだ長かりし

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  2020年12月3日
 おいのみち 先はまだまだ長かりし
 年金暮らしを はるかに夢みて

机の引き出し 記憶

 歯の間に物が詰まると、なんとも言えず気になるものですね。靴の中に石ころの小さな粒が入りこんだまま、歩いている時のような気持ちになります。なんとかして取り除きたいのですが、歯の内側に挟まった時には、簡単には取れず四苦八苦します。年をとって歯茎が痩せてきた、ということなのですね。

好物のレバニラいためは、ニラやもやし、ごま等の挟まりやすい具材が多いので、特に「リスク覚悟」で食さねばなりません。バカボンパパもきっと苦労したと思います。そうならないようにある朝、糸ようじで歯間の掃除をしていたら、糸ようじの糸が歯の間に挟まってなかなか取れなくなりました。なんとも皮肉な話です。

40代の半ばが近づいた頃、「なんだかメガネの度が合わねえなぁ」とか「新聞や本は裸眼の方が見えやすいじゃねえか」と思うようになり、しばらくして、それが老眼の始まりだと気がつきました。身体のことなど、まるで無頓着でいられたのが、いよいよ自分が「老いの道に一歩踏み入れた」と思ったものです。

もともと「頭の中に棚がひとつしかない」とからかわれるほど、記憶力がないのですが、最近では「忘却とは忘れ去ることなり」と、とうとう悟りを開くまでになりました。 ある日2階の自室で、洗面所に用事を思い出しました。すると、下へ降りていく階段の途中で、別の用に気がついて、「そうそう、それも忘れたらあかん」と思いつつ洗面所にたどり着いたら、肝心の最初の用事が何か分からなくなり呆然としました。 「こゆ場合は、元の場所に戻ればエエねん」と、気を取り直して2階の自室へ戻りましたが、やはり最初の用事を思い出せません。

そのうち思い出すだろうとあきらめて、階段の途中で気がついた方の用を先に済ませようと考えたのですが、今度はそちらが何だったか、分からなくなってしまいました。記憶を辿ってなんとか思いだそうとするのですが、はかばかしくありません。千切れてうまく剥がせないシールと格闘しているような、情けない気持ちを味わいました。高齢者の方々が時々受ける、簡単な計算や漢字の読み、前日の食事のメニューなどを答える「認知症テスト」、自分が受けたら不合格に違いないと思います (そんなこと確信しても仕方ないのですが)。

マインドセット 第二の人生

 日中、オフィスを行ったり来たりしていると、床のタイルカーペットに千切れた小さな紙片が落ちているのを見つけたりします。 拾ってくずかごに捨てようと身を屈めるのが、また簡単ではありません。前屈運動の要領で手を伸ばしても、まったく手が床に届かないのです。かつては、手のひらがベッタリ床に着いたものですが、すっかり身体が固くなってしまったのですね。 下手をすると、屈めた姿勢では頭が前のめりになって重心が下がり、あわや「でんぐりがえし」になりそうでした。

最近では、まず膝をある程度折って姿勢を低くしてから、そろそろと身体を曲げて、ようやく紙片を拾うようにしています。 「人生100年時代」などと持てはやされていますが、こんなことでは「無事に100歳までたどり着けるのかいな」と思います。パワースーツが実用化されて、補助してくれるのを期待しています。

我々「昭和の世代」は、年金で生活できる第二の人生を信じて働いてきたのですが、どうやらそんなに甘くはないようです。かつて60歳だった年金支給開始は65歳になり、私たちの世代が65歳になる頃には、70歳開始に後倒しになりそうです (先進諸外国はいずれもそのくらいだそうですが) それまで働き続けるとすれば、「第二の人生にどんな仕事をしていくのか、それにはどんなスキルが求められるのか」を早い段階からよく考え、今の仕事に必要な能力を高めるのと並行して、第二の人生の準備を怠らないことが重要なのだと考えています。

鍵となるのは、今風の言い方なら「マインドセットのリセット」になるでしょうか。勤め人の第二人生は、「新卒に戻った気持ちに戻って働く」ことから始まるのだと思います。ほんの少し前まで、仕事をオーダーしていた部下から、仕事を命令される立場になります。今は上長になったかつての部下から頼まれた仕事、自分ではやったことがないので、やり方が分からないかも知れません。自分が担っていた「頭を使う仕事」は、上司になった前の部下が受け持っています。

自分に期待されているのは、以前の部下や事務職の社員がずっと担ってきた「手を動かす作業」です。それが自分の仕事に変わったことをちゃんと理解して、チームのみんなが「助かるなぁ」と感じてくれるように働くことが大切なのですね。それに気づかず、自分がこなさなければならない仕事を、若い社員に振ったりする言動は、周囲を失望させることになります。 「利他的に生きる」と云えば、みんな「それは良いことだ」と応えるでしょう。それを実践していく、実践できているか自分に確認しながら毎日の仕事に取り組む、それが現代の「第二の人生の働き方」なのだと思います。

かつて昭和の世代が思い描いた「余生」は、現代においては「70歳を過ぎてからの”第三の人生”になった」と、認識を改めなければならないのですね。家康が言った「人生とは、重き荷物を背負いて、長き坂道を登るが如きものなり」と思えば、少し気がふさぎますが、いずれは頂上にたどり着き、きっと晴れ晴れとした気持ちになれることでしょう。

さて、何年か前から、額の生え際あたりにやたらと汗をかくようになりました。家人にそれをこぼしたところ、「それは髪の毛が後退したのよ」とあっさり返され、まったく想像もしていなかった鋭い指摘に、二の句が継げなくなりました。森林伐採の罪は重い、ということですね。


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