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変化の速い時代、でも「変化」はダメなのよ

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2019年9月22日
変化の速い時代、でも「変化」はダメなのよ
「綱」ってホントに重いの?

相撲

 令和元年の秋場所もいよいよ今日が千秋楽となりました。二横綱一大関が休場....最近では横綱大関全員が不在の場所もあり、めずらしいことではなくなりました。一方、上位不在の場所で若手力士の躍進が顕著となり、誰が抜きん出ていくのか、それが楽しみになっています。

14日目の取組では、初日から8連勝で勝ち越しを決め、今場所を牽引してきた隠岐の海が、遠藤相手にからくも勝利を拾い、優勝戦線に残りました。テレビ映像ではスローで見ても、遠藤のかかとが俵外際の土に触れたか判然としませんでした。その後の取組で栃ノ心が左足で蛇の目の砂を払って負けた一番から見れば、隠岐の海との相撲そのものには勝っていただけに、遠藤にとってはいかにも口惜しい負けでしょう。大関の栃ノ心はこの日の敗北で負け越しとなり、来場所の関脇陥落が決まりました。12日目に10勝目を上げて来場所の大関復帰を決め、栃ノ心とは不思議な巡り合わせになっている貴景勝は、竜電を圧倒的な相撲で破り、優勝候補の筆頭と言えるでしょう。

 先週末、ちょうど秋場所中日の朝、まだ土曜日のシアトルでイチロー選手の引退セレモニーが行われました。今から思うと春先に東京で行われた開幕戦は、まるで引退興業のようでした。試合後の引退表明から半年ほどが過ぎ、あのセレモニーはなにやら相撲における断髪式のように感じました。 本人はシーズン前「体調はいい、まだまだ現役でやれる」と語っていました。しかし、オープン戦では結果が出ず、東京開幕シリーズでの引退を決意していたようです。

 腰痛の悪化により「世界メジャー優勝」の旗を巻いて、日本への撤退を余儀なくされた石川遼選手は今年、国内メジャー優勝を飾り、米ツアーへの復帰を目指しています。錦織圭選手は手首の故障で、一時22位まで下げていたATPランキングを、ようやく8位まで戻してきました。 先週行われたMGCでは、最後までデッドヒートを演じたものの、大迫傑選手は3位に終わり、残念ながらオリンピック代表の座を確定できませんでした。 金曜日のワールドカップ開幕初戦でロシアに快勝したラグビー日本、五郎丸歩選手はゲームにおける戦術の潮流変化や若手の台頭から、今回の代表入りはなりませんでした。少し前の柔道などでは「スポンサー向けの顔」として、連盟が実績のある選手をオリンピック代表にする、といった傾向が見られましたが、自分の実績と評価で稼いでいる外国人指導者は「あくまで現時点の選手の実力と効用」による割り切った起用を明確に優先しますね。

横綱

 こうしてみると、チーム競技や個人競技では、怪我で欠場すればランキングは下がり、加齢による衰えで負けがこめば、地位を失うのが自然な流れです。 それに対して、相撲の世界が際立って異なるのが、大関や横綱の「地位保証」ルールです。

 大関の地位にある力士が本場所において負け越した場合、次の場所では「かど番」となり、かど番場所で再び負け越せば「関脇」に陥落します。しかし、その次の場所で10勝を上げれば大関に復帰できるという「救済措置」があり、この特別ルールが大きな意味を持っています。 英語の言い方では、大関がChampion、横綱をGrand Championとしており、その意味で「大関は関取の最高位」なので、一旦その位置にたどり着いた力士には、地位を保証している訳です。このかど番制度が整えられた昭和40年初めには、大関とはそれぐらい「簡単になれない尊い地位」と考えられていたのでしょう。

 横綱は、その大関よりさらに高い実績を上げた神聖な力士ですから、そもそも負け越しはあり得ないとされ、「負け越しのリスク有り」と予見されれば、速やかに引退表明し「横綱の地位を汚してはいけない」と言われていました。若乃花が横綱に昇進した時、「自分は長く相撲を取りたいのに、これで相撲人生が短くなった」と嘆いたそうです。若乃花は大関在位5年間で、途中休場による負け越しが1回あるものの、15日皆勤した場所では負け越しはありませんでした。にもかかわらず、そのように心中を吐露したのは、やはり若乃花は「綱の重みはそれほど神聖なもの」と信じていたのですね。 他方、この頃から「横綱が負け越しのリスクを予見された場合、怪我による休場」という形を取ることが増え、極端な例としては貴乃花の7場所連続休場がありますが、その後、横綱がしばしば休場を繰り返すようになりました。

  在位3年以上の横綱で、引退前18場所での途中休場を含む休場回数は、貴乃花が10回(引退時30歳)、若乃花が7回(同30歳)、武蔵丸が7回(同32歳)でした。若貴時代以前の大横綱である千代の富士は、わずかに4回(同36歳)でしたので、違いがよく分かります。 ただ貴乃花に関しては、多少ひいき目が入るものの次の点を加味したいと思うのが、貴乃花が7場所連続休場をする前の18場所では、休場は5回と千代の富士並みでした。

 この若貴時代は、曙や武蔵丸、小錦といった身長2メートル以上、体重200キロ超のハワイ勢がライバルであり(小錦に至っては260キロで電車道が武器の大関)、本当の意味で「無差別級」の格闘技でした。貴乃花は立ち合いで当たり負けをしないように体重増に注力した結果、怪我や内臓疾患を発症し、力士寿命を縮めたことは、引退時年齢からも明らかです。貴乃花も若乃花同様「綱の重み」は重々承知していた筈で、7場所連続休場は「男の死に場所を求めて、屈辱に耐える」の類いだったのだと思います。



地蔵 喝
 

 翻って、現在の横綱を見てみると、白鵬の直近18場所の休場は9回、鶴竜も9回なので、この3年間は「2場所に1回は休場」という有様です。二人とも今年34歳ですから、千代の富士の例を見ても、年齢に比して休場回数が多いと言えるでしょう。 昨今、力士の大型化が言われていますが、白鵬や鶴竜はその「大型」の側に属する比較優位の力士であり、千代の富士や若貴のように「自分より体格が明らかに勝る横綱大関」を相手に相撲を取っている訳ではありません。

 千代の富士の引退前18場所の一場所当たり平均勝利数は10.4勝でした。解説で人気の北の富士さんは、幕内入幕から横綱昇進まで7年、横綱昇進時28歳、横綱在位5年(現在の鶴竜とほぼ同じ)で、同8.2勝です。 貴乃花は同5.7勝でしたが、先に述べた背景から温情を持って、7場所連続休場前の18場所を見た場合、平均9.2勝を上げています。千代の富士、北の富士、貴乃花はいずれも休場はあるものの、しっかりと「勝ち越し」ている訳なのです。 それに対し、白鵬と鶴竜は共に同6.9勝で「負け越し」ています。15日皆勤した場所の成績は良くても、「これで綱の責任を果たしていると言えるのか?」との疑問を禁じ得ません。横綱だけに許されている「休場御免」の特権に「あぐらをかいている」と見られても仕方ないでしょう。

 ちなみに「かど番制度」がある大関の場合、豪栄道は在位5年で、直近18場所中の休場は6回、一場所当たり平均勝利数は8.4勝でした。大関はこの値が8を下回れば「陥落」する訳で、当然の結果です。事実、琴欧洲は同6.6勝だったので、大関から関脇に落ちて3場所目に引退しました。 横綱としては成功できなかった稀勢の里も、大関としての最終18場所の平均は10.9勝でしたから、かど番は「大関の威信を守る」上で価値のある制度と言えるでしょう。 そう考えると、横綱の「休場御免」特権には、なんらかの制限を加えるべきだと思うのです。 相撲協会や横綱審議委員会が、引退については横綱の自主性を尊重し制度による強制はしないと考えるなら、「1年間のひと場所当たり平均勝利数が、2年続けて8勝を下回ったら、横審が引退勧告する」とのルールを導入してはどうでしょう? 「横綱は常に優勝に準ずる成績を求められる。さもなくば引退すべし」との不文律からいけば、大甘なルールではありますが、昨今の事情に鑑みれば、この辺りまで許容しなければならないようです。

 一時期、横綱4人に大関3人が在位という時期がありました。テレビ番組のスポーツコーナーで、元プロ野球選手のコメンテーターが御意見番よろしく「横綱なら最低でも13勝2敗、大関は12勝3敗」などと古典的な数字を上げていましたが、そもそも横綱大関が7人もいたら、彼らは自分以外の6人の横綱大関と当たらなくてはならない訳で、(横綱の方が人数が多いので、実際にはそうなりませんが、分かりやすい例えとして)その6番を横綱なら4勝2敗、大関なら3勝3敗で乗り切ったとしても、先の基準を当てはめると、横綱大関の7人は「関脇以下には1敗もできない」ことになります。仮にそんなことが実現したら、関脇以下は「常に初めから7敗は確実、負け越し(給金下げ)まであとひとつ、ひと場所の勝ちはよくて8番、3場所合計33勝は夢のまた夢なので大関昇進の可能性はゼロの場所を戦う」との事態が発生して競技にならなくなってしまうでしょう。

相撲 土俵

 私自身は、大相撲がたいへん好きで、様々な不文律があるのも日本的で相撲界の良いところだと思っているのですが、世はグローバル化が進み、バラエティに富んだ国々からの力士が増えていますから、番付に関しては「前年6場所の合計勝利数の多い順から、横綱大関以下、関脇小結前頭と東西番付を順番に割り振っていく。一年過ぎるとまた前年の勝利数で入れ替える」方法がスッキリしていてイイなぁと感じています。 横綱大関昇進には一応基準がありますが、どこか協会や横審の「お手盛り」的な色合いが抜けません。大相撲には「取組編成の妙」があり、ゆえに平幕優勝のハプニングも起こりうるので、協会にはそちらで手腕を発揮してもらって、番付は「単純な競争原理」に任せてはどうでしょう。

 ところで14日目の碧山-琴奨菊戦、碧山が立ち合いのはたき込みで勝利しました。低い姿勢で一直線に突っ込んでくる琴奨菊に対し、碧山はやや右に動きつつ上からはたき込んだ形です。 勝負は一瞬で決まり、観客には気が削がれたような一番で、大きなため息が漏れましたね。実況の藤井アナは「碧山の変化」として不満気な口調でした。 正直なところ、私には碧山が「変化した」というほど身をかわしたとは見えませんでした。琴奨菊には、自分よりかなり身長が高い相手に対し、立ち合いで頭を下げて真正直に当たっていこうとする癖があり、何年か前に照ノ富士戦でまったく同じパターンでやはりはたき込みを喰らい、大関復帰をフイにしています。土俵に転がり、背中にたっぷり土をつけて、土俵の下に落下したのも同じです。あの時は、照ノ富士がずいぶん叩かれましたが、今回の碧山同様「変化」といえるほど身をかわしておらず、いずれも琴奨菊が無警戒すぎたのが敗因でしょう。

 「変化は卑怯で恥ずかしい禁じ手」との考え方は分からなくありません。それならば、どの程度の角度で身をかわしたら「変化」に当たるのか、という基準を協会が明示してはどうでしょう。今なら真上からの映像もありますし、身のかわし方もはっきり分かります。 以前の「変化」は、身を90度近く横にするほど大きな角度がついていましたが、最近はそこまで極端な動きは見られなくなったように思います。「変化」を云々するなら、その前に「正々堂々とした仕切の方が大事なのでは?」とTV桟敷解説者としては、申し上げたいところです。自分有利のタイミングで立ち合うために、審判たる行司の「手をついて」という声を完全に無視して仕切り線に拳を付けない姿勢を見ていると、情けない気がします。陸上100メートルで同じことをすれば、反則負けですよね。行司の言葉に従って、両の力士が四つの拳を仕切り線にしっかり付けて、立ち合ってもらいたいと思います。

 さて、そろそろ幕内の取組が始まります。一門の師匠筋である北の富士さんから辛口のコメントを貰っていた隠岐の海が初優勝するのか、貴景勝が復活優勝を遂げるのか、御嶽海は遠藤を下して相星決戦に持ち込めるのか、千秋楽の本割決戦に興味は尽きません。 今では親方でなくなった貴ノ花さんは、きっと自分が手塩にかけた愛弟子の優勝を期待していることでしょう。



(註) 本来、四股名の後に「○○関」との敬称を用いるべきですが、繁茂に表記することになりますので、文中では割愛しています。

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