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未知との遭遇

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2019年6月10日
未知との遭遇
顔で笑って「翌朝」泣いて (?)

未知との遭遇 宇宙人

 大学で東京へ出てきてからしばらくして、生まれて初めて納豆なるものを食べました。40年近くも前のことです。 今では健康的な食品として全国に広まった納豆も、当時はまだ関東を中心に食されていて、大阪では納豆というと「甘納豆」を思い浮かべるぐらいで、身近な食べ物ではありませんでした。

 「東京で学生生活を送るなら、納豆を食べられるようにならへんとアカンで。安いし、栄養もあるからな」と、大阪出身の先輩に教えられ、妙に糸を引く豆と白ご飯を口に入れた時の驚きは、今も忘れられません。 「どや?」と先輩に感想を聞かれ、「陽が当たらない家の裏陰に10年ぐらい放置して、湿って腐りかけた板を噛んだら、きっとこんなニオイと味がすると思う」と答えたところ、「それは誠に言い得て妙や!」と両手をがっしり握られて、扇風機のようにブンブン振り回されました。

 納豆が全国区になった現在では、納豆独特の臭みや苦みがなくなって、ただの「糸ひく小粒豆」なってしまい、いかにも頼りなく、昔の味が懐かしく感じられるから不思議なものですね。東京の大学には、全国から学生が集まってくるので、郷里の実家から送られてきた地方独自の食品のおすそ分けにあずかる機会がありました。 タラコは焼いて食べるものと思っていたので、辛子明太子を長崎出身の友人からもらった時は、「タラコを生で食べるんかいな」と驚いたものです。

 沖縄の人にゴーヤーチャンプルーをごちそうになり、強烈な苦味に腰をぬかしました。しかし、そのゴーヤーも全国区になった今では当時の苦味が失われ、万人向けではあるのでしょうが、納豆同様「個性」のない食べ物になって少しさみしい気がします。

 当時の沖縄は、本土復帰から10年経たない時期で、(内地では売ってない)アメリカの食品がたくさん流通していて、「歯にしみるほど甘い」ミルキーウェイや、スニッカーズのような「歯が折れるような固いヌガー」が中に入っているチョコ菓子を友人から貰い、初めて口にしてみて「アメリカ人ちうのは味覚がおかしいんとちゃうか?」などと考えたりしました。 極めつけは「リコリス」なる、今で言うグミのような食感のお菓子ですが、これはあまり甘くなく、代わりに毒々しいほど赤や黄、紫の原色に着色されていて、中には墨のように真っ黒なものもあり、さすがにひと口食べてやめにしました。 納豆同様「個性」のない食べ物になって少しさみしい気がします。

 その頃、韓国人のご夫婦と知り合いになり、まだほとんど店で売っていない「キムチ」と遭遇しました。まぁ舌が痺れるような辣さで、額から汗が吹き出す経験は初めてでした。ひと粒で二度おいしいと云うのか、翌朝は個室で冷や汗をたらしながら、ヒリヒリと焼けつくような感覚に苦悶の声を上げたことを今でも覚えています。

ロジスティックのイメージ

 クロネコヤマトのクール宅急便のサービス開始が1987年ということですから、この時期以降、地方の様々な食品 食材が都市部に流入するようになりました。柚子ごしょうなども、そのひとつでしょう。

 リアルの物流網の発達に10年ほど遅れて、インターネットという電子通信網が、移動体通信と共に、我々の社会や生活に浸透していきました。通信速度の改善やデバイスの高機能化とパーソナル化が進むにつれ、やがてネット通販は、全国を網羅する流通網に支えられ、生活に欠かせぬ利便を提供する巨大ビジネスとして成長します。アマゾンはその最たるものになるでしょうし、オフィスの情景としてはアスクルがあります。さらにネットが持つ「マッチング機能」を活かしたメルカリのような商流も登場しました。

 他方、これらの新ビジネスには、宅配便のような顧客と結ぶ流通網と共に、膨大な商品数を在庫しつつ効率よく発送する大規模なロジスティックスセンターを必要とします。 「必要なものを、必要な時に、必要なだけ、最も安く、運賃は少なく」という顧客の要望は強まるばかりで、サプライサイドは生き残るために、これに応えていかねばなりません。

 先日、ある取引先のねじ製品の物流倉庫を見学させて頂く機会がありました。 数々の研究と改善によって構築された屋内搬送システムと、それを効率的に稼働させるソフトウェアの開発、最適な箱詰めを実現する商品の組合せ情報の提供など、そこに投入された知恵と労力を想像すると感服する思いで一杯になりました。



肉じゃが
 

 まだ30代の始め、夫婦で子育てに必死になっていた時期、競技用自転車に血道をあげて、家計を傾けている先輩がいました。休みになると朝から山へ走りに出掛け、帰りは夕方です。さぞ奥さんは不満だろうと思っていたら、その先輩が奥さんの前でこのように話していました。 「どんなに立派なホテルの料理も、毎日食べたら必ず飽きが来る。けど、女房が作ってくれる食事は絶対に飽きひん。いつでも旨いんや」

 なるほどなぁ、女房孝行するところは、ちゃんとしてはると思ったものです。当時は、店で食材を買ってきて、家で一から調理するのが当たり前で、惣菜を買ってきて並べると、味つけの違いからすぐに分かりました。家族は舌に慣れた味つけの料理を「母の味」と呼び、喜んで食べたものです。

 時代は変わり、今やスーパーの惣菜やパック食品も種類が豊富にあり、「チンして並べる」ことがクッキングになりつつあります。口さがない世の男どもの中には、「スーパーやコンビニで買った惣菜の方が、女房が作るよりよほど旨い」などと小声で言い合う姿も見受けられます。

 小口多頻度配送の負担に耐え切れず、ヤマト運輸がアマゾンの仕事を返上した一件がトリガーになり、人手不足の顕在化や過剰なサービスの見直し気運が、エコロジーや環境の配慮を重視する意識と共に高まっています。最近ではコンビニの24時間営業の持続性に対する議論も盛んになりました。食品の廃棄ロスとプラスチックの削減は、我々の社会が真剣に取り組まなければならない問題でしょう。

クッキーを鼻に載せバランスをとる犬

 企業社会では限界まで無駄を減らして価格競争力の確保に注力する一方で、消費者に対するサービスというビジネスの最下流で大きなコストが発生し、企業の利益が圧迫され、それが賃金の伸びを抑制する要因になっています。 令和の時代、私たちは「利便による受益と、それに対するコストのバランス」や「不便や不自由を受け入れる代わりに、環境負荷を減らし、持続可能な社会を実現」することが大切になるのでしょう。

 少し前に、割り箸の原料になる木材がやがて不足するとの危機感が高まり、飲食店で再利用可能なお箸への転換が進みました。コンビニでも弁当を購入する際に、レジで箸が必要か尋ねられたりしましたね。 それが功を奏して、木材の不足は言われなくなりましたが、それと共にスーパーやコンビニの弁当に割り箸を付けることが再び「当たり前」に戻りつつあるように見えます。

 スーパーでは環境への配慮として、ビニールの買い物袋に何円かを払うことが求められ、マイバッグを活用する習慣が浸透しました。コンビニでも同様に、ビニール袋や割り箸に対価を求めても構わないのではないかと思うのですが、いかがでしょうか? コンビニエンス・ストアは確かに「便利な店舗」に違いありませんが、全国で55,000店という規模に到達すると、そこに必要とされる電気量や食品廃棄ロスは、無視できない社会コストでしょうし、改善が必要だと思います。24時間営業の飲食店も同様ですね。



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